文化接触による民族的アイデンティティの変容:
海外における日系企業と中国系企業で働く従業員による意識を中心に
本発表では、Barth (1998) の民族境界論を理論的枠組みとし、企業文化と現地文化の接触を通じて、従業員が如何に内部者と外部者を区別し、民族的アイデンティティを変容させているのか分析する。事例として、香港における日系企業(A社)と日本における中国系企業(B社、C社)を取り上げ、現地調査得たデータにもとづいて考察する。日系、中国系とは、企業の創始者がそれぞれ日本、中国本土出身であることを指す。
先行研究では、海外における日系企業の多くが「自民族中心(ethno-centric)」的経営を行っていると述べられているが、従業員の数や権利など、「表面的」な現象にもとづいた分析が多く、包括的に文化の接触や経営への影響を分析できていない。一方、中国に関して言えば、起業家や人的ネットワークに関する研究は多いが、企業組織内における民族アイデンティティの構築を研究しているのは限られている。
本発表では、まず、香港における日系企業(A社)について分析する。A社は、海外での成功体験から、「日本」はブランド価値が強いと考え、香港では自国で成功した制度を取り入れていた。一方で、現地従業員はA社が進出する以前から、日本ブランドを高く評価し、中には憧れの感情を抱いている人々もいた。その結果、A社では、「日本性」が境界線を構築する主な指標となっていた。このように、現地の好意的な対日感情が企業文化と接触した結果、A社では、日本的な制度や日本人を「優越」的であると考えるようになり、現地の意見を過小評価するようになった。この考えは、より企業の「日本化」を助長しているが、その一方、現地人の帰属意識を低下させることにもなった。
次に、日本における中国系会社(B社とC社)を考察する。現地調査の結果、どちらの会社においても、「信頼」を主な指標として中国人と日本人を区別していることが分かった。多くの中国人管理職は、従業員の団結心や労働意識などに注目し、日本人が中国人より「優れている」と判断していた。それは、日本が「優勢」であるという考えを助長し、中国人の民族アイデンティの複雑さ(大国や経済の上で誇りはあるが、団結心や労働意識に関しては劣等感も感じている)を表している。その背景には、日本において中国ブランドや中国人への信頼性が低いということだけではなく、創始者の中国人や多くの中国人管理職が長年日本に滞在し、自らも日本が優勢であるという考えを助長しているからだろう。
本発表では、民族的アイデンティティの構築プロセスは、企業、そして現地の人々が如何に原産国の民族性を考えているのか、によって影響されていることがわかった。また、異なる民族的アイデンティティが経営に諸刃の剣的な役割を果たしている事も考察した。本発表で言及した研究の一部は現在進行中であり、今後より広範囲の現地調査と一層の考察が求められている。
参考文献:
Barth, Fredrik. Ethnic groups and boundaries: The social organization of culture difference. Waveland Press, 1998.